FIREの先にあるのは本当の幸せか絶望か。『Phantom』で富の本質について考えさせられた【読書感想文】

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ブランド品も買わず友達づきあいも制限し、分身のような配当システムを作った先に待っているのは、生活保護費受給者たちと同等レベルの配当生活だというのか。

羽田 圭介 (著) 『Phantom』

この小説の中でもっとも印象深いシーンだ。

資産5000万でFIREする事を目指す主人公「華美」は、投資セミナーに参加し、1億円以上の資産を持つFIREの先輩たちの生活レベルが生活保護受給者と同等である事に気づいた。

経済活動を最小限に抑え配当のみで生活する、営利活動を何もしないという意味での「FIRE」に関して、僕も懐疑的ではあるし自分なりの意見を持っているつもりだ。

羽田圭介著『Phantom』は、FIREや信者ビジネス、お金とは何かなど僕たち投資家にとっても興味深いテーマを扱った小説だ。

今回は自分のFIREやお金に対する考えも整理しつつ、読書感想を書いていこうと思う。

もちろんネタバレは極力避けて書くつもりだ。

目次

FIREの先にあるのは幸福か絶望か

記事の冒頭でも触れた通り主人公の「華美」は、米国株投資で資産5000万を構築しFIREすることを目標としており、30代前半という年齢で資産は1800万円ほどまで成長していた。

資産構築のために、華美は友達の結婚式の二次会参加を断ったり、職場に水筒を持参したりなど、かなり節制した生活を送っているんだけど、意思決定の基準がすべてお金との比較になっている。

例えば二次会の参加を検討したときには次のような思考をしていた。

今の一万円が、三〇年間寝かせておけば七倍以上になる。  三〇年後──六二歳になった頃に、彼女との友情は続いているか?  未来の七万六一二三円と、続いているかわからない友人とのつながりの、どちらをとるか。

羽田 圭介 (著) 『Phantom』

この思考は、FIREを目指す民にとってはあるあるではないだろうか?確かに「お金増やす」ことだけを考えると非常に合理的な判断だ。

でも、「お金増やす」という前提は本当に正解だろうか?

自分も今でこそ、ある程度は人や経験にお金を使うようになったけど、昔はこんな感じですべての誘いを断っていた結果、誰からも誘われなくなった。

ちなみに華美もこの後、二次会を断った日は何も予定がなかったことが友人たちにバレてしまい、楽しみにしていた年に1回のBBQに呼ばれなくなったことを嘆いていた。

自分は約一万三〇〇〇円をケチったあまりに、友人たちからの信頼を失ったと華美は思った。

羽田 圭介 (著) 『Phantom』

参加した投資サークルでは、出会った資産1億越えのおじいちゃんたちの生活レベルが、先日テレビで観た生活保護受給者と同等だったことから、FIREに疑問を持ち始める。

このシーンは、FIREを目標とする多くの人たちに絶望を与えただろう。

「お金」が幸せを運んでくるのではなく、「お金」は使ってはじめて幸せを運んでくるということを僕たちは忘れてはいけない。

これについては書籍『DIE WITH ZERO』の考えとも通ずる

FIREに対する自分の考え

僕は資産1億前後のFIREに関しては懐疑的だ。理由はいくつかある

  1. 死ぬまで暴落におびえる事になる
  2. 死ぬまで節制しなくてはならない
  3. FIREで得るのは時間的自由”だけ”
  4. そもそもなぜ5%で成長すると言い切れる?

理想的なのは、稼ぐ術(または金を生むシステム)を持った状態で時間的自由を得る「サイドFIRE」である。

巷に溢れている少額でのFIREは全て机上の空論であり、余程の資産家で分散された資産を保有していない限り、物価上昇による生活コストの上昇や価格変動などを考慮すると死ぬまで心が休まらないと思う。

本当の安らぎを得るには、やはり「稼ぐ力」は必要である。それは配当などの外部要因ではなく自分自身が生み出すお金でないと意味がない。

僕個人的な目標に言い換えると、「できるだけストック所得を増やした状態でFIREする」である。

お金とはなんなのか

華美は「お金」という物質に執着し「経済的な自由」を求めたが、対して彼氏はカルト集団にハマりお金やモノを捨て「物質的な自由」を求めた。

世間一般的に見ると(少なくとも僕は)、華美の方が正しいように思うが、本当にそうだろうか?
現に華美の生活が豊かとは思えない。かといって全てを捨てた彼氏が豊かかと問われるとそれも違うように思う。

全てを捨てて身軽になるのは資本主義社会においては万人に対しての正解だとは思えない。かと言ってお金に執着し、幸福を制限してまで貯め込み使わないまま死んでいくのも到底幸せとは思えない。

何を信念とし何を信じるかは自由だ。

何を選ぼうが結局のところ全て間違っているのかもしれない。

お金とは結局のところ「信頼」によってその価値が担保される。それは必ずしも貨幣や電子マネーである必要はなく、相手の求めるモノや行動でもいいはずだ。

お金ではなく人生の豊かさを「富」とするなら、あまり「お金」に執着してしまうと、「富」の本質からかけ離れてしまうのかもしれない。

人生は短い、自分にとって何が富なのか、何を信念として生きていくべきなのか。よく考える必要がありそうだ。

僕には家族もいるしマイホームもある、おまけにそんなに若くもない。現状ではすべてを捨てて物質的な自由を得ることは難しく、資本主義の競争レールから外れることはできないので、今はトレードや投資、ブログを頑張ってストック所得を増やしていきたいと思っている。

でも「お金」とは適度な距離感で付き合っていきたい。使う時には使うし、無駄なものには使わない。それが、現時点での僕の『富』への答えだ。

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